こころの病と闘いなから「働き方をかえる」!YOLOなダイアリー

一度きりの人生(YOLO)、私同様に「こころの病い」と闘う人へ。

副業を考える時代へ (前編)

おはようございます。

今日も会社ですが、私は朝の通勤に湧き出てくるインスピレーションを大切にしているので、今日はスキマ時間に頑張ってできら、できるだけ書いちゃおうと思います。(でも出来上がるのはきっと夜になりますが)

 

今日は「副業」について。深いテーマなので、前後編の二回に分けて書いてみたいと思います。

最近は皆さんもご存知と思いますが、メルカリやミンネ(手作り品販売)、クラウドワークス(Webデザイナーや家庭教師等のWeb求人)などなど、わざわざ人材会社や店舗、代行業者を通さなくてダイレクトに顧客とアクセスでき、誰でも手軽に商売ができる時代になりました。

   例えば、私も最近超ハマっている、ご存知メルカリ(ネットフリマの超人気アプリ)。要らなくなった本や着れなくなった子供服、タンスの肥やしになっている不用品を簡単にネットで売りたい値段で出店できちゃう。今迄だったら古本屋にわざわざ運ばなきゃいけなかったし、家で不用になったものの処理にこまったのが、今だったらメルカリを使えば、写真撮って自分で売りたい値段つけてアップするだけで勝手に売れてしまう。しかも発送も簡単で例えばA4サイズならコンビニに持っていけば、QRコードで安くて簡単に送れる便利な世の中になりました。もちろん、副業が手軽になって来たのはICT(*)の技術革新があってからこそ。ただでさえ残業代がもらえない、給料は上がらない時代だからこそ、会社に支障のない範囲のスキマ時間にすぐに副業して飲み代くらいは稼ぎたいくらいです。

*ICT = Information & Communication Technology、昔はITだけでしたが、最近はC(コミュニケーション)がつくのが一般的になってます

 

  ところで、私が副業について意識したのは、もちろん時代の流れもあるのですが、実は一番の理由は自分の「こころの病い」がきっかけ。もう少し詳しく言うと、病気になってから、給料が上がらなくなるんじゃないか?という怖さを感じたり、さらには体調不良で休職中の時「最悪給料が減るようなことが起きるかもしれない」と危機感を感じたからです。

  父親ならみんな「家庭を支え続けなければならない使命」と「サラリーマン(会社員)という見えない鎖に縛られながら働き続けなければならない」という責任があると思います。ただ、私は今まで苦労はありながらもそこそこ失敗なくやってきたこともあり、発症当時、キャリアアップがうまくいかない時に感じた将来への漠然とした閉塞感が、積もり積もって不安感になってしまい、無意識のうちに自分の「こころ」を蝕んでしまいました。

特に私のようにストレスに苦しんだサラリーマンって、気がついたらすごく近視眼的になってしまって、「今の会社のキャリアアップのレールから外れてしまう=人生の大きな失敗を犯した」などというおかしな心境になってしまうのかもしれません。だから、もっと広い視野でサラリーマン以外の選択肢として、「副業」というリスクヘッジをできるような自分を創り上げることで、「いざというときでも何とかなるんだ」、ということになるわけです。

(我ながらすごいディフェンシブな発想です^^;)

 

ただ、「副業を頑張ろう!」と言っても、たいていのサラリーマンは、会社の就業規則で副業禁止になっているので、実際のところはどんなにバレずにやってもせいぜい年収20万までが限界です(それ以上やったら確定申告が必要になるので、税務署経由で会社にバレてしまいます)。それでも、少ない稼ぎでも実際に副業をやってみると、「いかにサラリーマンは会社の看板や敷かれたレールの上だけで仕事をしているか」を実感したり、「顧客を獲得すること」の難しさにきづいたり、あるいは自分の商品やサービスが売れた時の何とも言えない喜びだったり(どんなに小さな金額でも嬉しいもの!)、会社で稼いできた売上げとはの全く違う、新しい発見がきっとあると思います。  

ちなみに私の場合は、前述の通りの心理状態にあったからか、「サラリーマン」という見えない呪縛から久しぶりに解放されたような、不思議な錯覚を覚えました。稼いだお金は小さくても、副業から得られた達成感が、私の「こころの病い」の治療につながるだろうと信じてやっています。(もしそうなったら願ったりかなったりです)

 ただ一方でやはり、「自分」という看板だけで飯を食うことも痛感できるので、それはそれで違った刺激になり、それかま新しい起業家精神につながるわけです。(稼いでいる個人事業主ではすごいな、と最近つくづく感じます)

 

私が思う副業のメリットを書き出すと、

◯自分の時給がいくらなのか?いくらの価値を提供できるか?市場価値を知れる

○仕事に対する視野を広くしてくれる

(例えば、サラリーマンでも起業家精神を持てる、0→1(創造)力が鍛えられる)

◯顧客作りの大切さを痛感する(=儲ける力がつく)

◯どんな仕事にも競合がいる、だから他の人にない自分の経験や売りが何か?を考えるようになる
○ストレス発散(趣味)になる

◯社外の人脈が広がる
○将来の起業するための、いい経験(訓練)になる

(起業するには、それなりの覚悟と執着心、知恵と金が必要、しかもハイリスクハイリターンだからこそ、まずは副業で試してみるべき)

 

 副業は単純に金儲けの為だけではなく、もっと広い視野でメリットを考えるだけでも、やってみる価値はあると思います。私は成果らしい成果を出しているわけじゃないので、あんまり偉そうなことは言えないのですが(笑)、副業を考え始めたことで、社内に閉じこもって気づかなかったことが見えてきたり、商売を真剣に考えるようになったり、と本業でも頑張るきっかけになるはずです。

 

という訳で、副業を何故やるのか?について書いてきましたが、最後に言いたいこと。

(ここ重要です。最近本をたくさん読んでいて、頭に浮かんでくることです)

 

私は、近い将来会社員でも副業が普通に容認されるような時代が必ず来る、と確信しています。

安倍内閣でも労働者の「働き方改革」のテーマのひとつに「副業」を入れていますし、そういう背景や理由があります。それは、

【今の経済環境からみた背景】

◯ 日本の労働人口が確実に不足して来ており、政府は経済を停滞させないためにも、女性の労働環境整備だけでなく、多様な労働力創出に対して手を打つ必要がある

◯ 会社員の長時間労働の問題が取り沙汰されているため、残業を抑制しなければならないのだが、残業代がなくなると会社員は収入減になり、経済的にも家計的にも厳しい状況である

◯次世代テクノロジーでD to C(Direct to Customer、消費者直結型のビジネス)やシェアサービス型ビジネスが主流になってきていて、個人がビジネスできる土壌が整いつつある

 

【会社が容認すべき理由】

◯ 会社が社員のモチベーションを維持するには、もはや多様な働き方を認めないと優秀な人材が流出する時代になってきている(特に今の20代の優秀な人材は、大企業に就職せず、あるいは数年勤めたのち、次世代テクノロジーを利用したネットビジネス起業やNPO法人など、イノベーティブなビジネスへチャレンジする新しい潮流になっている(今は正に時代の転換期))

 

◯ 国内の経済成長がなく昇給が難しい中、経営者は社員に対して「もっと頑張って仕事したら給料が良くなるよ」という甘言をささやくことで、彼らのモチベーションを維持することがもはや難しい

成果主義の時代が成り立たない)。だから、新しい働き方を認める必要がある。何故なら社員だって稼げない以上、どっちみち隠れて副業する人は出るのが目に見えている。(その方が経済的にもいい)

 

◯ 新しい「働き方」への転換期、職業に対する新しいモチベーションや雇用形態へ

これからのあるべき新しい働き方は、従来のような、「社員は会社に属し、一方で会社は社員を雇い育て管理する」ような雇用形態ではなく、「会社はそれぞれの役割を持った人が集まる「場」になり、社員はそれぞれが自律性を持ちながら、プロフェッショナルに(専門性を持って)働く」ような形態へ変わる。働く人は会社に雇われても必ずしも会社に縛られず、自分の好きなことや得意なことを考えて、会社に貢献できる場を見つけてそこに属してゆく。一つの会社ではなく、複数の仕事から新しいモチベーションを見出して社会に貢献してゆく。 「副業」という概念以上に、もっと柔軟でネットワーク化された、いわばプロジェクトベースの仕事のやり方だったり、今までになかったような自由な仕事のやり方が今後出現する。

 

少々わかりにくいと思うので具体例でいうと、例えば、

平日はネットベンチャー定時が決まっていない裁量労働で働きながら、一方でNPO法人を別の仲間たちと立ち上げて、クラウドファンドでお金を集めて社会貢献ビジネスをし、またちょっとしたスキマ時間を利用して、ブログのアフィリエイト収入だったりやUber(民間タクシー的なサービス)やメルカリ、ココナラ(クラウドワーキング)でモノやスキル、自分の時間を切り売りしてゆく。ひとつの会社から40万稼ぐというよりも、複数の仕事で合計40万というように、創造性と自律性、専門性の高さがが問われる難しさはありながらも、自由とチャンスはなくならない、そんな斬新な働き方が成り立つ社会へ。。

 

   最後の部分は、我ながらやや飛躍してしまった感はありますが、10年後には「副業」という考えが当たり前の時代になるといいなぁと思いますし、願っています。

とは言っても、まだ少し先の話だと思うので、まずはサラリーマンでも副業が認められる時を信じつつ。。。とりあえず今から準備した方が得だし楽しいかな、と。

話はまだ続き、次回後編へ。

次は具体的に何をするか?について考えたいと思います。

 

You Only Live Once

 

 

困難を乗り越えたときこそ人は成長する

こんにちは。今年は冷夏で最近は涼しい毎日で過ごしやすい半面、何だか夏らしさがなくて何だか物足りなくなってきましたね(ついこの前までは暑かったのに)。今週も雨が多くて折畳み傘が手放せないし、ジメジメした昼になったり。。

やっぱり夏は暑くて汗をかくからこそ夏。暑さを「感じる」からこそアイスクリームが売れたりするし、冷房グッズが売れたり経済効果がある。私の仕事も人の「感じる」ことに訴えかける商売の一つなのでよくおもいますが、改めて人の心(感覚)や感情って、とても大切なことですね。

 

さてさて本題に入って、今日のテーマは「困難を乗り越えたときこそ人は成長する」ことについて。

今日は久しぶりに去年の自分を振り返りたいと思います。

私自身は、最近だいぶ体調が回復してきて、朝起きてもようやく不安障害の症状(震えや動悸、なんとも言えない不安感、ドキドキ感)が出なくなり会社にもやっと定時で通えるようになってきましたが、ここに来るまでを振り返ると昨年休職してから一年もかかりました。昨年の夏は、「こころの病気」に苦しんでいた時期で(当時は「身体表現性障害」とは言われず「軽いパニック障害」と近くの町医者に言われてましたが)、原因もよくわからない体調の悪さと朝に起きられない毎日に苦しみ、会社にも行けず一番辛かった時期でした。

薬の副作用もひどくなって休職を自身で判断したのがちょうど昨年の今頃。気持ちに落ち込みはなかったのですが、自分の身体がコントロール出来なくなり、「これはもう、一度全部リセットしないとダメになりそうだな」というように感じて自ら産業医へ申告。まだ幸いなのは判断を自分で下せる冷静さと精神状態であったこと。まだ人生は自分でコントロールから何とかなると思っていましたが、不思議なことに何故か町医者には「うつ病」と診断されることに。。(町の心療内科医は、こんな私を「うつ病」と診断するなんて、所詮この程度のレベルなのかな、と感じざるを得ませんでした) 

  その後、結局9月から12月まで4ヶ月間休職したのですが、休職中の頃は、当時、社会人になって初めての自由な時間ができて一日中自由に過ごせる半面、目標も予定も何もない空白の時間だけが続く毎日。こんな経験は生まれて初めてだったので、楽ながらもしばらくの間は何ともつらい途方に暮れた日々を過ごすことに。。

  例えば、街なかで楽しそうにしている人たちを目のあたりにした時に「なんで俺だけこんな状況なんだろう・・・」なんて、人生で初めて変な劣等感と社会からの疎外感を感じたり、あるいは、失業者などのいわゆる社会的弱者に陥ってしまっている人の置かれている状況(彼らの気持ちや生活)が見えてきたり。
  また、休職中とはいえ、全て自由という訳ではなく、あくまで職場復帰するためのリハビリ期間であるのが前提で、「生活記録表」をつけることで、復職するためには「規則正しい生活を毎日送ってますよ」、と会社に報告できるようにならなければなりません。だから、例えるなら自由でありながらも、何だか会社に首輪をつけられているような存在。(まあ、給料貰ってるんだから仕方ありませんが)
  さらに厄介なことはお金。給料はもらっているので貧乏ではないものの家計費はいるし、 お金に余裕があれば良かったのですが、運悪く貯金が減っていた悪いタイミングで、当然ながら旅行したり、思い切った気分転換をできるだけの十分な余裕資金なんてなし。せいぜい趣味のスポーツくらいはできましたが、お金もたくさん使えない私は、毎日図書館通いの生活をすることに。。
よくメンタル疾患の人は図書館通いするとは聞いたことがあったのですが、いざ図書館通いの生活がはじまると「ああ、こういうことだったのか」と、これでやっと理解できました。
そして、地元の図書館だと知り合いに会いそうなので人目を気にして隣町の図書館へ行き、しかも子供や近隣住民にも不審に思われない様に朝8時過ぎには家を出て、毎日人の目を気にしながら自問自答のツライ日々を送りはじめました。
こんな精神状態で毎日図書館通いするもんだから、最初の頃は来る日も来る日も「こころ」の病気に関する本を読んでは、「どうしてこんな病気になったんだろう?」と疑問に思い悩み続けたのをよく覚えてます。自分なりには、こういうのが困難だと感じた瞬間でした。

ただ、いい意味で幸いだったのは私が読書好きだったこと。以前から仕事に悩んだ時や壁にぶつかった時にはよく本を読んでは自分なりの解決策、打開策や答えのヒントを探したりしていたので、その時のように、毎日来る日も来る日も読書をしたり、自己分析や今考えていることをひたすら紙に書いて頭の中を整理しました。するとそうしているうちにだんだん病気の原因だったり、どうしたら良いか?どうこれから生きて行くべきか?ここ数年間見えていなかった自分の道が見えてきました。

 そして、実は病気になるしばらく前から、仕事のことを考えたくなくて、ずっと自己啓発本から何となく逃げ続けていたのですが、ふとした瞬間から自己啓発本が読みたくなってきて、少しずつ少しずつ前を向いて、将来の自分の可能性や希望に向き合えるようになってきました。

   

あの当時、四ヶ月で読んだ本は300冊はくだらなかったと思います。そして、復職後の目標ややりたいこと、実現したいこと、将来の生き方の計画、また自分なりの働き方の変え方など、いろいろなアイデアが溢れ出てきました。「今は体調は良くないし、治るまでには時間はかかる。それに他の人よりも仕事人としては随分と遠回りしているのだろうけど、今は我慢の時。諦めなければ必ずチャンスはやって来る」。そう思い信じながら、近所の隅田川のほとりの喫茶店でコーヒーを飲んでいた気がします。

 

そして今の自分。

多分他の人から見たら、昨年の自分とは、まだ表面的には変わらないように見えるかもしれませんが、内面の自分はいろいろな意味で成長してきた、と実感しています。また、今年に入って密かに地道に行動を起こし、小さいながらも成果を出したり、一歩ずつ前進しています。

   身体表現性障害という「こころの病気」という困難にぶつかり、人生の先が見えない恐怖を感じながらも、自分なりにもがき続け、正直まだ治ったかもわかりませんし、まだ乗り越えたとは言えないかもしれませんが、自分なりには、こころの持ち方や生き方の考え方、働き方、そして仕事人として今後やり遂げたいことなどがだいぶ明確になってきた点で、自分なりには大きく成長してきた感じる。

  きっと困難にぶつからなかったら、こんなヤル気は起きなかったかもしれないし、ある意味崖っ淵に立たされたからこそ、自分を変えることができたと思う。あとは健康管理をきちんと継続しながら実行あるのみ。

でもまぁ焦らず無理せず、でも楽しく着実に一歩ずつ。。。

 

何故なら人生は一度きりだから。

You Only Live Once.

 

 

「個性」を認める

毎日暑い夏が続いて少々バテ気味です〜。

 

今日は、自分が心の障害を持って初めてわかったこと、「個性」を認めること、について。

「個性」っていうと、普通は凄くポジティブなイメージがあって、優しいだとか、クールだとか、ひょうきんだとか、明るく前向きだとか、なんか人それぞれの「特長(言い換えると”良い所”)」、目立って素晴らしい点や性格、人間性ばかりを思ってしまいがちです。

 

   私自身も以前はそういうタイプの人だったんですが、自分がここ二、三年、こういう心の病いになってみて初めて、発達障害を持った子や私とは違いますが精神疾患を患っている人も実は、それぞれみんなひとつの立派な「個性」なんだなぁと、この歳になって初めて気づきました。(お恥ずかしながら)

 

例えば、私は普段子供達のサッカーコーチをしているのですが、いわゆる「とにかく少し変わった性格の子」や「人と馴染めない人」、「話をきちんと聞けない子」、「すごくネガティブに考えてしまう子」がいます。以前も多動性発達障害(*)がいたり、「自分のことをきちんと伝えられない子」がいます。

*多動性発達障害:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/注意欠陥・多動性障害

 

大人でも、全く社交的になれず、一緒にいるのに一言も話をしないひととか、ここ二、三年でも何人も見てきました。

あなたの周りにも、周りを見回すと数人くらいはそういう人がきっといるんじゃないか?と思いますが、そういう人をすぐに「変なやつ」と一言で片づけませんか?

気づかないうちに偏見的に扱ったり、仲間外れにしてしまっていませんか?

 

例えば、小学生とかでも、人の気持ちが自然とわかったり、気がついて進んでお手伝いできたりする子だけがいい「個性」のように思いがちですが、実はこれって極めて単眼的なんだなと。

 

どうしてもみんなと同じように準備やお片づけができないとか、几帳面で周りに合わないくらいマイペースだったりとかいう子がクラスにはいるでしょうし、中には先生のいうことをちゃんと聞けない子だっているんです。

 

例えば、自閉症の男の子。自分の殻に閉じこもって一見変な子に見えたりしますが、実は大成している人がたくさんいますよね。(スティーブ・ジョブズ)本人も幼かった当時からそういう人はいましたが必ずしも普通じゃない、と白い眼でその子を観たり、レッテルを貼ってしまうのは、非常に短絡的すぎますし、却って危険な考え方になりかねません。

 

もちろん、障害のある子は別として、ちょっと変わっている子には、親の育て方や家庭環境にもひょっとしたら原因があったりしますからなんとも難しいとは思いますが、他人の子供が変わっていることに悪口を言っている人や、レッテルを貼って扱ってしまうのは正直どうなのかなぁ?と、感じてしまいます。

 

それよりも大切なのは、この子を一人の人間として尊重して、ひとつの「個性」として認めてあげて、その子が持っている良い部分を見つけてあげられるくらいにしてあげられたらいいのでは?それくらい広い寛容性を大人には持って欲しいし、私自身も持ってゆきたいな、と思います。

わたしも少年サッカーのコーチをやっていて、実際いろいろな子供たちと話しをするのが好きなので話しますが、みんな色んな面白いことに興味を持っていたりするんですよね。例えば、危険生物がすごい好きだったり、電車がすごい好きだったり、あるいはドラマの「真田丸」の影響で真田幸村のことに凄い詳しい子がいたり。

だから、あいさつができたり勉強やスポーツができたり、お手伝いがきちんとできる子だけを「いい子」と考えるだけでなく(物事の表層の部分だけで人を判断せずに)、もっと広い視野で「個性」を認めたり発見できて受け入れて考えられるくらいの度量の大きさや寛容な心構え、その子(人)特長を引き出せるだけの問いかけ力や聴く力、たとえ障害がある子でも対等な立場で接することができるフラットな姿勢。なかなか難しいですが、あって欲しい、と考えている今日この頃です。

私もこういう考え方を自然にできる、品格を持てたらいいな〜

 

人生は一度きり

You Only Live Once

 

 

 

 

 

 

 

「障害」になって気づいたこと

先日、FMラジオのJ-Wave 「Jam-the-World」の番組で、「相模原障害者施設連続殺傷事件から一年」の特集が組まれ、障害者に対するヘイトがなぜ起きてしまったのか?という話があった。

私自身、ここでいう重度の障害者ではないが、私も一応「身体表現性障害」で、ある意味、「障害者」のひとりである。

一年前この事件が起きた時には、休職直前の最も体調が悪かった時期だったこともあり、「ひどい事件が起きてしまったんだな」と感じた程度しか正直覚えていない。

だが、今回の「Jam The World」を聴いて改めて考えてみると、「この犯人は心の底から障害者やその家族の気持ちや「障害」の持つ意味を理解していたのだろうか?」と改めて疑問に思った。

 

  ところで、この「障害」という言葉の持つ意味について、私も軽いながらも障害を持つ一人として、僭越ながら考えみたのですが、(もし間違いがあればすみませんが多めにみて下さい)

私なりの解釈だと、

・産まれながら(先天的)、或いは生後に事故や病気(後天的)の二種類の理由からなる、からだやこころの困難である

・一時的ではなく、長期的に(或いは生涯)続く

・「完治」する可能性は軽度の精神疾患を除いては低い(特に身体的障害だと、治る可能性は極めて低い)と言われている

・代わりに症状が一時的に治ったり軽くなったりする、という意味で「寛解」という言葉が存在する

(「完治」ではなく「症状がない」という状態)

 

「障害」が意味するところは、残念ながらネガティヴな要素が多く感じられてしまう。しかしながら、障害者にも種類がたくさんあり、人の援助を借りながら健常者と変わらず生活できる人もいるし、困難の中に新たな希望を見出して前進してゆこうと努力している人もいる。(私が尊敬する人の一人、車イステニスの王者、国枝真吾選手は健常者とは比べ物にならないくらいの尋常じゃない精神力だと思う)

 

   先ほどのJWave Jam-the-Worldの「相模原障害者施設連続殺傷事件から一年」の話に戻るが、私が憤りを感じたのは、何故この犯人が「障害者」の方々に対して、ヘイトの気持ちでなく、一筋の光を見つけられる心境にならなかったのか?だ。非常に残念でならない。

特に先天的に障害を持った方に対するヘイトの話(「一生迷惑をかけていくだけの価値のない存在だ」だという誤った思想)を聞いた時、私はもっと違う角度で物事を見られなかったのか?と思った。

  だって、特に家族にとっては子供が障害者であれどうであれ、唯一無二の愛する存在なのだから。。

 

ここで、番組の中でゲストとして登場した、元毎日新聞記者で、自閉症の息子の父親という立場から障害者の社会参加について発信している、RKB毎日放送の東京報道部長・神戸金史さんから息子へあてた詩が非常に印象に残ったので、原文をそのまま紹介したいと思います。

 

***【障害を持つ息子へ】***
幼い次男は、「お兄ちゃんはしゃべれないんだよ」と言います。
いずれ「お前の兄ちゃんは馬鹿だ」と言われ、泣くんだろう。
想像すると、私は朝食が喉を通らなくなります。

そんな朝を何度も過ごして、突然気が付いたのです。

弟よ、お前は人にいじめられるかもしれないが、
人をいじめる人にはならないだろう。
生まれた時から、障害のある兄ちゃんがいた。
お前の人格は、この兄ちゃんがいた環境で形作られたのだ。
お前は優しい、いい男に育つだろう。

息子よ。
君は、弟の代わりに、
同級生の代わりに、
私の代わりに、
障害を持って生まれてきた。

息子よ。
そのままで、いい。
それで、うちの子。
それが、うちの子。
あなたが生まれてきてくれてよかった。
             (詩より一部抜粋)

 

   この詩は、今回のおぞましい事件が起きたことに対して神戸氏がfacebookに投稿した内容だそうですが、のちにその詩が大反響を呼んで出版化されたそうです。読んでいただいて気付いたかも知れませんが、彼の素晴らしいところは、

彼は事件を起こした犯人に対して怒りをぶつけるのではなく、「障害者を持つ家族になったことによって、味わうことのできる経験があったり、自分には

障害者の家族がいるということに感謝したい」、という、逆説的に温かいメッセージをだったこと。

 

彼は少なくとも、今回の犯人の植松被告の、障害者に対するヘイト思想とは真逆な視点であり、障害者がいることに対して、障害者の家族の存在が人間の人生にとってとても価値や意味がうまれ、たとえ困難があって悩み苦しんだとしても、それが”人生の学び”という非常に価値ある形で人生の糧となる。そして最終的には彼らの存在は十分社会に貢献している、という内容でした。

 

「障害者」という、一見ネガティヴな部分を非常に高尚な形で(高みのある視点)認め、感謝する、という素晴らしい、神戸氏らしい独自の言葉に力を感じ、私も心が動かされた。

↓↓↓【参考】神戸氏の図書

http://bookman.co.jp/shop/essay/9784893088710/

 

   話はまた戻るが、私は今まで障害者のこととかあまり深く考えたことがなかったのだが、今回、このテーマについてかいた理由は、やはり自分自身が「障害」を患って障害と闘う大変さに初めて気づいたから。

またもうひとつ思ったことだが、(自分も含めて)障害を持つ人間に対して差別的な感情や変な同情(憐れみ)を持たれることに対して、皆んなきっと嫌な気持ちになるのだろうな、と痛感した。

障害者の方々は、きっと、たとえどんな困難であっても価値ある一人の人間として認めて欲しいし、認められるようになりたい、迷惑はかけたくない、と思っているのではないだろうか?

 

そろそろ話をまとめて行きたいと思うが、私が障害になって気づいたこと、それは

◇「障害者」を決して蔑視してはいけない

一つの人間の個性として認められるような大きな心をみんなが持って欲しい。障害者本人たちもきっとそう思っている

 

◇障害(障害者の存在)から必ず学びがある

障害者を持つ本人、或いは障害者を持つ家族は、大変な困難や苦労を味わい、悩み苦しみながら生きているはずだが、皆んなそこからかけがえのない学びがあり、人を成長させる何かをきっと感じとったり、皆んなきっと新たな成長につながる発見に気づくはずである

 

◇障害は乗り越えるべき人生の使命である

産まれながらに障害を持った方とその家族は、多くの困難や逆境の中での生活を余儀なくされるだろう。でもそういう方々やその家族はそれを人生の使命として受け止め、神がくれた宿題と信じてそれを人生かけて乗り越えゆこうと覚悟を決めているはずである。そして、困難の先にはさらなる人生の高みと心の幸せ、満足感が訪れることを信じたい。

 

最後に、私も現在障害と闘っているが、いつも自分に都合のいいように、「これは試練をもらっただけで成長するチャンスなんだ」と自分に言い聞かせて、苦しいことがあっても、前を向いて毎日を一生懸命生きるように変わってきたのではないか、と思う。(俗に言う、「ピンチはチャンス」だと。)いつか、障害になったことに感謝できる日がくることを願いつつ。。。

 

人生は一度きり。

You Only Live Once.

 

 

「三歩進んで二歩下がる」

こんにちは。

今日は「三歩進んで二歩下がる」について。

 

ご存知の人も多いかと思いますが、水前寺清子さんの名曲の1968年の名曲、「三百六十五歩のマーチ」に出てくる歌詞の有名フレーズです。

 

全く知らないよ、っていう人(ジェネレーションギャップ)がいるかもしれませんが、

とりあえずそんなことはさて置き、私のように精神疾患に苦しんでいる人は、きっと同じように体調が良くなってはまた悪くなって後戻りしながら、と「三歩進んでは二歩下がる」ような闘病生活を送っているんじゃないかと思います。

 

私もまさにそんな感じで、体調がいい期間が二週間くらい続いて、「これならもう治りそうだな!」と希望の兆しが見えてきた途端、急にまた体調がガクンと落ちて悪くなって後戻り、きっと少しは良くなっているんでしょうが、また一から出直し、なんて毎日なんですよね。。。

 

ところで、この「三百六十五歩のマーチ」、ちょっと歌詞を見てみましょう。

 

しあわせは 歩いてこない   だから歩いて ゆくんだね
一日一歩 三日で三歩  三歩進んで 二歩さがる

〜中略〜
人生は ワン・ツー・パンチ  歩みを止めずに 夢みよう
千里の道も 一歩から  はじまることを 信じよう

 

この歌詞がどういう背景で書かれたのか、私は知りませんが、私なりに独断的に解釈すると、

  ー幸せをつかみ取るために、前に進んでいこう

  ー人生はいい時もあれば悪い時もある

  ーでも、すべての道は一歩から、夢を信じて歩んでいこう

かな、と思います。

 

今、私の心の中の自分は正直苦しい気持ちで一杯で、

見えないゴールに向かって日々くじけながら歩いている毎日です。

人の人生って、普通の平々凡々な日々のまま生涯を終えるような人は実は少なくて、皆んな一生の中で必ず神様は試練を与えてくるものなんです。そして、与えられた困難や試練を苦しみながら乗り越えてゆくことで心が磨かれ、魂(soul)がさらなる高みへと昇ってゆくんじゃないかな、と思います。

 

だから、今はこんな境遇ですが。「自分は今試されているんだ」、「それを乗り越えていけるのを見られている、だからこそ治ると信じて前に向かっていこう」!と思えるんです。

まさに「三歩進んでは二歩下がる」ような毎日ですが、最近はこの歌のこのフレーズを思い出しては、あきらめちゃいけないんだよ、とこの歌に励まされているような気分です。

 

思い返すと、自分のここ2年くらいの間の私は、「三歩進んでは二歩下がる」どころか、「もしかしたら一歩も進めていないんじゃないか?」と思うようなつらい日々を送ってきました。

 

一昨年に仕事の激務とプレッシャーによるストレスからパニック障害のような症状で朝に身体がおかしくなり、当時海外赴任をしていまいたが帰国を志願して何とか半年後に帰国。

帰国後も、海外赴任時代に長い間障害状態で無理を押して仕事を継続してしまったことや、薬の副作用の影響もあり、昨年夏にまた体調崩してしまいついに休職。

 

そして今年に入り晴れて気持ちもリフレッシュして復職!できて普通に戻れるかな、と思って業務制限を外して忙しくなった途端に、体調がまた不安定に。。。

 

思い返すと、まためまぐるしい職場環境に戻ってしまったことが悪かったのでしょうが、かといって仕事を変えられる年齢でもなく、また転職したとしてもリスクが伴うし、

今の私はまさに「三歩進んでは二歩下がる」人生で、順風満帆を志向してきた私にとっては、家族を支えていかなければならないこともあり、正直すごく追い込まれた状況です。

 (唯一ラッキーなことは鬱にならず、自分である程度コントロールできていたことです)

 

でも、常に私が忘れていないことは、「とにかく自分の人生は自分で切り開いていくしかなく」て、

こういう逆境を自分の起爆剤にできるくらいの強さを持てるようになりたい、

そして「必ずこの逆境を乗り越えていっていつか逆転できるような人生を見つけてゆくぞ」という

、強い想いです。

 

自分の息子にもサッカーのアドバイスでよく言いますが、

「失敗していいからチャレンジしよう」、といいます。

私自身もそれと同じで、再び普通の生活に戻れる日が再び来ることを信じて

を楽しめるくらいに大きな気持ちで、毎日チャレンジ精神を忘れずに

前進して行こうと思います。

 

人生は一度きり。

You Only Live Once.

 

 

 

 

 

 

 

 

休日にも不安障害。。

こんにちは。

今日は土曜日、やっと楽しい週末がきました。

でも休日のはずなのに朝から不安症状が。。。

元気になりたいのに、こころの病いは簡単に治らないから何ともつらいなぁ、と感じてます。

とりあえず、常備薬の抗不安薬を飲んで、ちょっと体調が落ち着きかけてきたので、今日は、休日の不安障害(不安症状)について書きます。

 

私の身体表現性障害の症状は、不安障害と全く同じで、仕事上での"潜在的な"こころの葛藤やストレス(プレッシャーや業務量からくる不安感)からきているようです。

仕事が原因なんだから、休日くらいは症状がなくてもいいのでは?と思うのですが、なかなかそんなことはないみたいです。

ひょっとしたら、直接的な原因(人間関係からとか仕事の極度のストレス)じゃなくて、”潜在的な”原因がポイントなのかもしれません。

だから休日も関係ないんじゃないかな。。

 

ちなみに不安障害で苦しんでいて、私と同じように休日も体調が悪くなる、という人は意外とたくさんいるんですかね?(多分いっぱいいそうですね)

 

ちなみに、私の具体的な症状は、毎朝起きると身体の震え(手、頭)と動悸、息苦しさ、そわそわ感(落ち着かない不安な精神状態)の、典型的な不安症状。休日でもこれになると、さすがにつらい。

 

ただ、休日の不安感は特に予期不安(心配事を考えてしまうこと)から始まるのが原因でしょうから、完全に仕事を忘れて、こころをオフモードにしようとこころがけてます。

家族のこととか、趣味のこととか、とにかく考え過ぎない、余計なことを考えないで、こころをシンプルに。

あとは楽しいことをやること。考えるヒマを作らないで楽しいことをやってればいいんじゃないんですかね。きっと。

 

あと、体調や気圧の変化(天候)にも影響を受けるみたいです。いまは7月だから、健常者でも身体がバテやすいでしょうから、そんなときだってある。

低気圧で頭が重くなる人なんて山ほどいるでしょう。それに、「こころの病い」は、「三歩進んで二歩下がる」のが当たり前なんだから、こんなことに一喜一憂してたってしょうがない。

ちなみに、ときどき休日に不安症状がでたら私がやっていることは以下です。

 

◾️私がやっていること

不安感がでたらすぐ薬を飲む

とにかく症状を止める

薬も止まるまでなら様子見ながら飲み続けてる

(もちろん医師の上限範囲内で)

頭が重かったらもう諦めて(開き直って)寝る

眠くなったりフラフラしたら寝る

症状が止まったら、もう余計なことは考えない

天気がわるかったら天気のせいにする

必ずいいことがあるさ、と楽観的になる

週末の楽しい計画を考える

仕事はとにかく忘れる(絶対やらない)

人と触れ合う、一人で苦しまない

外に出る、身体を動かす(運動する)

綺麗な景色を眺める(私は隅田川とスカイツリー

自分の好きな音楽を聴く(心地良いボサノバとか)

大好きなペットと触れ合う

セキセイインコとか、可愛くてオススメですよ)

 

とりあえず、不安感がでたってその瞬間は苦しくなるかもしれないけど、死なないんだからいいじゃないか、くらいの気持ちで行きましょう。

「不安」なんて考えるから起きるものですから。

小さなことに悩まない、くよくよしない。

仕事だって失敗したって殺されるわけじゃない。

 

人間関係だってしかり。自分が思っているほど、他人は自分のことなんて考えてない。そんな他人のことを気にしたって意味ない。

 

さっき私が書いた私の対処法は、認知行動療法の一種なんでしょうが、みんなそれぞれの対処パターン

で、症状を抑えられるといいですね。この障害を患っているから思い悩んでしまうんでしょうが、もうそんなことだって仕方ないんですよ。
 

それよりも、せっかくの楽しい休日なんですから。

もったいないから楽しんでいきましょう。

 

毎週の休日も一度きりだからこそ大切に。良い週末を過ごせるといいですね。

 

You Only Live Once.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体調の波と見えない不安

こんばんは。

 

最近は体調良くて安心していましたが、昨日は久しぶりに不安症状が出てきて、動悸と落ち着かない感、体の震えが。。

ほぼ毎日大なり小なりあるので、薬を飲んでなんとなく落ち着いたような気がしましたが、今日は結局落ち着くことができず会社を休みしました。

 

もう、毎朝こういう生活が2年。(いや、自覚症状が悪化する前含めたらひょっとしたらもう数年なのかも。。)

 

2週間くらい調子がいい時もあれば、朝突然動悸や息苦しさで起き上がれなくなって会社に行けなくなってしまうこともある。

予兆でもあればわかるのだが、ないからコントロールもままならない。

「毎日早起きできれば何とかなる」と思って、早寝早起きを心がけて6時前には目覚めているんですが、起きた瞬間から薬がないと毎日落ち着かない状態で、薬が効いて、ゆっくり心を整えて8時までに出発できたらいいほう。

ダメな時は起きる事すら出来ないことも。。

 

それにしても、精神状態は至って普通なだけに、他人からは病人扱いされているし(実際普通じゃないですが)仕事もなんか物足りないし、正直悶々とした毎日です。原因もよくわからないし、なんか、時々会社からは阻害されていくような気持ちにすらなることも。40過ぎて、いい加減次の仕事のステージに上がれる自信もあるのに、チャンスすら出来ず、逆にこのまま終わるかもしれない、という見えない不安と毎日格闘しています。

 

精神疾患で苦しんでいる人って、みんなこういう気持ちなんだろうな。(あー、つらっ)

 

久しぶりにネガティヴなことを吐いてしまいました。人間だから、調子の波はあるから仕方ないか。。

 

ただ、絶対に諦めないでいきたいから、こういう困難をバネにして、必ず乗り越える意志はある。

また、最近影響を受けた二人の女性(安田菜津紀さんともう一人の有名な方)は、私なんかよりももっと大変な家庭環境の逆境を人生の転機にして、自分の生きる道を切り開いていった「チェンジメイカー」になっている。

 

私も、現在のこの困難は次の人間としての成長をするために必要な通過点として考えて、ポジティブな気持ちと高い意識を忘れず、何かを必ず成し遂げたいというチャレンジ精神を持っていきたいと思います。

家族を支える父親としても、カッコ悪くてもいいからチャレンジを忘れずに、生き様を見せてゆきたい。

そう願いながらも、、あ、もう寝る時間だ。

明日はちゃんと起きられるかな。。。

 

人生は一度きりだから悔いのないように

毎日を大切にしていこう!

 

You Only Live Once.