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「働き方」をかえる!こころの病と闘う会社員YOLO-CO-BIの日記

一度きりの人生(YOLO)、同じ境遇の人達を勇気づけられる人間を目指します

「引き算」の習慣から見えるもの

今日は大事なスポーツの試合だったのに、開催場所を間違える大チョンボ!!

仕事じゃこんなこと、あまりすることないのに。。プライベートだと気が抜けるのでしょうか?

 

さとさて、今日は「引き算」の習慣の話。

断捨離とか、モノを捨てるという意味の「引き算」もありますが、ただそれで時間や空間を作ってシンプルな生活にしましょう、という「ミニマリスト」的な話しだけでなく、さらにもう一歩踏み込んで、すべてのことに「引き算」する、言い換えれば研ぎ澄ましてゆく(削ってゆく)習慣を毎日切り返してゆくことによって、自分の中にある、唯一無二な真の「自分」像が見えてくる、そういう「引き算」を考える習慣をつける必要があるよな、と最近よく考えたりします。

 

何故そう思うか?というと、私は元々何でもやりたがり、よく言えば積極的、でも悪く言えば、的が絞られていないことが多い、いろいろやって良く知ってるだろうが、専門性が良くわからない。

つまり、自分の中で選択と集中ができてなくて、

「私=これ」みたいなものが自分でも中途半端、結局誰にも負けないレベルじゃないから、きっと自信が持てないんです。

 

人間、特に自分の価値を考えたり、自分の存在意義を考えるときに、自分自身も自分って結局何者なの?と”自分の原点”というか、自分のオンリーワンっていうか、これなら自信あるフィールドがあるはずなんですが、まだまだ絞り込めてないんだと思います。わかりやすいところだと、xx検定2級が5.6個あるけど、1級なし、みたいな感じです。

 

かの有名な広告クリエイターの佐藤可士和氏は、会社の戦力やコーポレートアイデンティティ、CMを作る際に、クライアントの話を聞きながら、その商品の無駄な部分をとことん削ぎ落として、顧客にとって、その会社や商品の「本質」が見えるまでにする、と聞きました。

また、僧侶もそうですよね。荒修行を通じて欲をなくすことで、生命、自然の「本質」、出来事や事象から見えてくる「本質」が見えてくるようになる、といいます。

 

時代は明らかに「引き算」が必要な社会、

今はミニマリストやシェアードエコノミーが主流ですが、AIやIOTの時代になったら、人間の職業人としての価値は、

*0→1(創造する人)か9→10(職人的専門家)が価値を見出す社会

*人にしか出来ないサービスや問題解決

*それ以外の単純な作業やオペレーション的な仕事は人工知能やロボットに代替される

そんな時代はもう間近まで来ている。

 

だから、今のうちに自分を「引き算」して、自分オンリーな独創性(マニアックでもいい)だったり、専門性のさらなるブラッシュアップ(例えば業界知識や得意な語学力の強化)したらいいかな、とイメージはありますが、

今こそもう一度、

  ○感情でなく理性的になって行動する

  ○日頃の行動を振り返り無駄を見極める

  ○内省して自分の価値、「本質」をみる

   (ライバルに勝てる自分のフィールドは何か?)

  ◯やるべきことを取捨選択する

  (やれることは限られている)

  ○「動」より「静」(動かないのも正解)

ことを毎日思い出して行動が必要。

 

最近、病気がきっかけで自分への職業人で遅れをとってしまったという”焦り”もあり、最近特に悪い意味で行動的過ぎた感もあるので、たまにはもう少し、腰を据えて、自分を「引き算」しながら、自分のキャリアや将来戦略を練りたいと思います。

 

正直、最近思うのは自分でやりたいことでちゃんと顧客へ価値を見出してお金を儲けて飯を食うこと。

いつか起業したいけど、子供の養育費を考えてたらまだまだサラリーマンはしばらく抜けられそうにありません。

でも、50代でもいける時代だから、今からまだまだ野心を持って準備してゆくつもりです。

 

人生一度きり。

 

YouOnlyLiveOnce.

 

 

思い込み(ミスディレクション)について

こんにちは。

最近も、いまだに週2〜3回は朝起きられない日々が続いていて、せっかく楽しみにしていた朝時間が作れていない残念な毎日。なんで、今日は静かな場所に逃げ込んでブログ書いてます。

(なんで、いっても頭重くて起きられないんだろうなぁ〜)

 

ところで今日は最近とても気になりなった言葉、

「思い込み(ミスディレクション)」について話したいと思います。

 

これを知ったのが、サッカーを科学的に考える番組Foot x Brainの先週の放送(日曜日午前のテレ東の番組)。

 その時のゲストが、海外でも活躍するプロマジシャンで、かつ慶應大学医学部生の志村 祥瑚(しむら しょうご)さん、という方。

日常生活での「思い込み」や「錯覚」といった人間がよくやりそうな勘違いを「ミスディレクション」と彼は表現し、実際に元サッカー日本代表のゲスト達にマジックを体験してもらいながら、自分達が普段いかに「ミスディレクション(思い込み)」で物事を判断しているのか?、「思い込み」のメカニズムを分かりやすく体感できる、非常に興味深い実演でした。

 さらに番組では、実際にマジックの種明かしも行うことで、「先入観の怖さ」や「思い込み」に気づく大切さだったり、自分の先入観や認知がいかに単視眼的か、を伝えてくれる内容でした。

ちなみにこの志村さん、彼の面白さは何と言っても学術的(アカデミック)な背景をもつマジシャンだというところ。彼の経歴は、マジシャンをやりながら精神医学を学ぶために慶應義塾大学医学部に入学。マジシャンで培った経験を元に慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科と共同研究を開始し、「思い込みを変える」新しい心理療法・メンタルトレーニングの開発を行なったり、もしており、単なるマジシャンを超越した心理学研究の学者とも言える方でした。

 

番組をみて、私が改めて感じたのは、この「ミスディレクション」、やっぱり私の障害にも当てはまっているんだろうな?ということでした。

 

  でも私の場合は、上司や仕事のストレスで会社に行けなくなるような、いわゆる「適応障害」でもないので、そういう意味での「思い込み」による「会社に行きたくない」障害という訳ではないのですが、

私がいいたかったのは、「身体表現性障害」という私の病気自体、「こころ」と「からだ」が離れてしまって発症してしまうメンタル疾患のため、私の「身体表現性障害」は、ある意味、自分で思っていないようでも、自分の潜在意識に眠っている「ミスディレクション(思い込み)」によって、気がつくと実際に身体症状になって現れてきて、仕事に行こうと思っているのにからだがついてこなくなってしまい、気がつくと「朝起きられない」とか「頭が重い、痛い」とか無意識に「思い込んで」しまっていまっているんじゃないか、と思います。

 

毎日会社にはちゃんと通っているのに、それでも、ひょっとしたら「仕事を拒否しているのかもしれない」と悩むことも少なくありません。ま、私のわからない脳の潜在的認知のことだし、あんまり考え過ぎても仕方がないので、今日のボヤキはここら辺までで。

(ちなみに私はお医者さんじゃないので、あくまで一患者である私の個人的な解釈として聞いてくださいね)

 

それにしても、人間の脳って本当に奥深くて医学的にもなかなか解明が難しい世界なんだろうな、と思う一方で、AI(人工知能)の進化によって、こういう不可思議な認知のメカニズムもアルゴリズムによってデジタル化する未来が来る時代(シンギュラリティ)が20〜30年後には訪れるのかもしれないな、、と今日思うこの頃。

 

最近は、メンタルヘルスの問題やマインドフルネスなどのストレス社会の乗り越え方が話題になったり、AI(人工知能)によるディープラーニング(深層学習)やビッグデータを活用したデジタル化で第四次産業革命がもうすぐ訪れる、と時代の潮流になっていたり、とにかくここ数年間は「脳」ネタで巷のビジネス図書は溢れて、脳科学が注目されて研究が進んでいく、そういう時代にきているのでしょうね。。。

 

そんな私も、自分の病気をきっかけに、気がつくと心理学とか脳科学とか、今回の「思い込み」みたいな話に凄く興味を持っていたりして。

 

そういう、わかりそうでわかりづらい学問って、きっとハマると抜けられなくなりそうです。私は自分のこころの赴くままに、おもしろそうなことにはどんどん興味を持って考えてゆきたいと思います。

 

人生は一度きり。

 

You Live Only Once.

抗うつ薬は怖いけど気にせず試してみたら?

こんにちは。

今日はこころの病で飲む「薬」について。

私は専門家ではないのですが、数年間の服用体験談です。 私は今飲んでる薬は、抗不安薬抗うつ剤

(ちなみに私はうつ病じゃないんですが、メンタル疾患の人は症状によっては処方されるようです)

 

まず抗不安薬について。抗不安薬は、いわゆる軽い精神安定剤で、飲むと数分後から不安感やドキドキ感が取れて、落ち着いてくるような薬です。個人的には依存しなければ便利で良い薬だと思います。

もしこころの病でなくても、緊張感が止まらないとか人前に出られない、とかあるのは普通だから、そんなに気にせず服用でき、かつ頓服的に活用できるほ便利な薬ですし、また軽いこころの病の程度なら、これだけで治せてしまう人も多いようなので、ここまでは特に気にせず飲むといいと思います。

ただ、薬のタイプで短期間用〜長期間あったり、また個人差で薬との相性もあるので、しばらくは自分の合う薬、薬の量を先生と見つけるといいと思います。ちなみに私はメイラックスをよる0.5〜1ml、ソラナックス0.4mlを体調悪い時の頓服用で使ってます。飲むと軽く酔った感じになって楽になりますが、少しぼぅーとしてしまたり、物忘れや緊張感がなくなるので、適度に飲みましょう。

 

 次に抗うつ剤について。これは賛否両論かもしれません。人によってはネガテイブな情報を知って、躊躇する人もいるかもしれません。西洋医学的には聞くとされていて、私も実際、現在デプロメールという抗うつ剤をのんでますが、この薬にたどり着くまでにいろいろな薬を試しては身体が動かなくなったり、眠気が止まらなくなったり、様々な副作用で苦しんだ経験があります。

また、薬が切れると離脱症状といって、頭が重くなったり、いたくなったり、副作用のような状態になるため、長期間かけて量を調整しなければならない、なかなか難しい薬です。

確かに抗うつ剤は、私も最初は詳しい知識も何も知らず、風邪を治すための薬のような感覚で量を増やせば治るくらいの気持ちで町医者の言われれがままに量を増やしていきました。でも、のむと激しい副作用に見舞われたり、会社にいけないことも出てきて、これは困ったなと。結果、副作用がひどくなって仕事にも支障をきたすようになってしまい4ヶ月の休職に追い込まれることになった経験があるので、抗うつ剤に対しては、私は正直半分怖い気持ちが今でもあります。

ただ、ネガテイブなことを散々いった後で言うのは何ですが、結論から言うと、良い薬さえ見つかれば対処療法的にな軽い気持ちで飲んでみたらどうでしょう?と思います。だって、今少し安定してるのはきっとこれも効いているはずだし。

ちなみに私は、薬を増やして治療する相性の悪かった町医者から、会社の産業カウンセラーの勧めで大病院に変えることにして以降、先生から適切なアドバイスももらえるようになり、また、時々飲み忘れる時があっても、「それって症状が悪くならないんだから大丈夫でいいことなんですよ」なんて言われたりして、安心することができました。

それ以来、基本ちゃんと先生の指示どおり処方して、万が一たまにわすれても「ま、いっか」くらいの気持ちで細かいことは気にせず、また体調悪かったら「少し抗不安薬で落ち着かせるか」くらいの対処療法でいくのがいいのかな、となんとなく自分なりの対処方法ができてきました。

だから、抗うつ剤って聞くと、何だかすごい怖い感じがしてしまいますが、そんなこと気にせず、気楽に飲んでみてはどうですか?
ただ、個人的には大きな病院のちゃんとした心療内科の先生から適切に診断してもらい、薬を処方してもらった方が絶対にいいですよ。

もちろん、こころの病の根本原因をきちんと内省して振り返り、そこから自分の考え方の歪みを治していったり、はたまた認知行動療法といって、身体がおかしくなったときの対処ルーティンみたいなものを確立したりしてやってもいますので、いろいろ人それぞれとはおもいますが、参考にしてください。

(あくまで私個人的な意見ですが)

 

人生一度きりなんだから、いいと思えることは深いこと考えずに思い切ってやれることやっみましょよ!と言うわけでまた。

 

You Only Live Once.

 

 

 

 

 

やることを断捨離する

今日はGW最終日なのに、私は仕事の日。小5の息子のサッカー応援にも行けず、少し残念な気持ちながらにブログ書いてます。。

今日は休めない仕事だったので、昨晩は比較的早く寝て早く起きるつもりだったんですが、、、いつもの調子で朝から頭が重くて動けず。(なんか最近ダメだなぁ)7時過ぎに出発予定のため、5時起床で計画していてたから、何とかかろうじて間に合いましたが、危なかったけど、いやぁ、とりあえず間に合って良かった!!(こんなことでも私にとってはうれしいのです、私のような病人にとっては(笑))

 

本題に入って、最近感じていることなんですが、

脳(=こころ)にストレスを与えないためにも、「やることを断捨離する」ことはやっぱり大切だな、と思います。

一般的に、こころの病になる人は「頑張り屋」が多いようですが、私もその一人。

私がこころの病(身体表現性障害)になった理由のひとつは、仕事も家族のことも、全てにおいて手を抜くこと無く”頑張り過ぎた”からだと思ってます。 

私は性格上、思いつくと後先考えずにすぐにやりたくなってしまい、計画もろくにしないでいっぱいに予定を入れたがる傾向にあります。そして暇になったらなったで、何か時間を持て余している感覚になって勿体無い気がしてきてしまい、暇を埋めたがったりしてしまいます。(何だかヒマ恐怖症みたいです)

また、新しいことに興味を持ってやるのが好きなんですが、やることを広げ過ぎて忙しくなり、結局どれも中途半端になってしまい、「結局俺、いったい何がやりたいんだろう」、という変な後悔をしてしまうこともたまに。。(もっとも、それが良い方に働くこともあるので、私にとっては一長一短なんですが。)

 

 身体もそうですが、脳(=こころ)もたくさんのことをいっきに頭に詰め込むと、当然ながらパンクしちゃいます。(以前も話しましたが)脳はパソコンと同じように考えると分かりやすくて、パソコンをやっているときにたくさんのソフトを同時に立ち上げたまま作業したり、重いファイルを開こうとすると突然パソコンが固まったりするように、人間の脳も忙しく同時にいくつものことをやったり、負担がかかるような生活を送っていたら、当然ど忘れしたり、頭が整理されずなんか混乱したような精神状態になってしまったりすることがあります。
(そんな経験ってありませんか?)
 

確かにアクティブなことは決して悪くないと思っていますが、それによって自分の趣味や仕事、友好関係が広がり過ぎて、気がつくと自分で自分の予定をコントロールできなくなり、何だか予定に自分の時間を支配されているような状態になってしまう、これって絶対によくないことですよね。。

 

例えば、平日の会社員がどれくらい時間があるか考えてみると、以下のような感じです。

(あくまで一例ですが)
・朝起きて朝食〜準備まで 1時間
・通勤時間 (往復)           2時間
・仕事 ※昼休み1時間込み 9時間
・夕食〜ひと息の時間        1時間
・風呂、寝る(明日)準備 1時間
・睡眠時間                          7時間
→以上の合計21時間。

人によって残業や通勤、睡眠時間に誤差はあると思いますし、通勤時間などのすき間時間を活用している人も多いと思いますが、毎日の生活で本当の意味で自分の時間と言える時間は、せいぜい毎日3時間程度がいい所でしょうか。(きっとそれ以下でしょう)

結局、たいていの会社員であれば、毎日2〜3時間の限られた時間をどうするか?をどのようにして有効活用したらよいか?ということになると思います。そんな少ない時間で、あれもこれもやりたい、って思う事は現実的に非常に難しいですよね。

 

一方で、それ以上に時間を確保しようと睡眠時間を削って、4.5時間睡眠とかで頑張っている人もいるかと思いますが、私は「脳には本当に良くないから習慣にはしない方がいい」、と思います。
実際、私もそんなタイプの人間でしたが、20代は勢いでいけてましたが、それでも寝不足の次の朝は何だか頭の働きは良くないし、心なしかネガティヴな思考になりやすかったように思います。そして30代半ば頃になると、徐々に脳が回復できなくなってきて脳の思考回路が悪くなっていったような気がして、仕事でストレスが溜まるようになって思考に悪い変なクセ(ネガティヴ思考的なクセ)が気がつくとついてきてしまった気がします。もうこの頃から自分はきっとこころの病になり始めていたんだと思います。
なので、少なくとも自分の過去を振り返ると、やっぱり最低でも6時間は取るべき、というのが私の意見です。

 ですので、睡眠時間も確実に確保しながら、仕事をしていると、自分の時間なんて限られてますので、自分のやりたいこと、やるべきことは絞らざるを得ないと思います。

(ちなみに、それでも身体を犠牲にする覚悟でそれをやりのけたいショートスリーパーの人がいても、人それぞれですから否定はしません)

 

そして、本当に自分の人生を楽しもう、やりたいことを自分の時間を作り出すためには、たくさんあるやりたいことを棚卸しして、その中から「やることを断捨離」して、自分が本当にやりたいことに集中する、それと、毎日の予定や時間に自分が支配されないように、やりたいことを絞り込む、あるいは自分で時間を調整したり、やることを捨てるとか、ときには手を抜く、とか考えるようにすると、脳にはいいんじゃないかと思います。特に時間に縛られることは、脳にはストレスになるので非常に良くないことですからね。

 

具体的にやれることとして、毎日のほんの小さなことですが、例えば、

・毎日テレビをみる時間を極力無くす

・ネットサーフィンで、ゴシップネタなどの信用性の低い(どうでもいい)情報に時間を取られない

SNSもほどほどにする

・趣味、やるべきことを絞る

(趣味は広げない、極力余計なことに時間を使わない)

・人との付き合いを選ぶ、人の誘いに安易に乗らない(本当に意味がある付き合いか?楽しい人か?も含めて考えることも大人になったら大事)

・早く寝て、朝時間を有効活用する

(誰にも邪魔されないで集中する)

・時には家でじっくり考えたり、読書したり、あるいは瞑想したり、「動」の時間だけではなく、「静」の時間を意識する。

などなど。

 

ミニマリストとか、断捨離とか、数年前から流行っている言葉がありますが、これは「モノ」に限った話ではなくて、時間の使い方や、さらには私のこころの病(=>脳を適度に休めて無理しない)にもこういうことにも言えることなんだな、と痛感しています。

今はITの進化のおかげでどんどんスピードが速くなってどんどんコミュニケーションや情報が複雑化している世の中ですが、

こころや人間の脳の観点から考えたら、やはり、何だかんだ言って、シンプルな生活を心がけることが一番なのです。

 

私のように、こころの病で身体の自由が効かなくなっている身にとって、これはとても深刻な話しです。

だから、時には断る勇気も必要だと考えるようになってきたし、仕事だって自分の強みに集中していかないと生き残れない、健康に過ごすために少ない時間をどのようにして過ごすべきか?などと考えたりして、改めて、時間の大切さを感じる毎日です。

 

このように「やることを断捨離」した先には、きっと、自分の本質が見えてきて、自分はどういう人間で、何が本当に好きで、誰が本当の友達で、何をして飯を食っていく(=天職)のか?まで、究極的には見えてくるんじゃないのか?と信じています。

時間の使い方で重要な考え方は、

時間においては足し算ではなく、引き算の発想の方が大事なんじゃないかと思います。

 

就職活動以来、こんなに物事を深く考えている毎日はなかったような気がします。でも、私は決して悩むことなく、自由な発想で創造的に考えています。そして、前向きに、建設的に未来志向的に考えるようにしてます。

これってとても脳にいいことですし、こういう時期も長い人生には必要ですよね。人間は、時に考え抜くことでさらに成長してゆくことができる素晴らしい生き物だと思います。

 

はぁ、また長々書いてしまいましたが、人生は一度きりですしね。それではまた。。

 

You Only Live Once.

 

 

「あきらめる」こと、「あきらめない」こと

今年復職して4ヶ月。

今週も朝から頭が重い日が続き、結局今週も2日間遅刻。

復帰してからしばらく調子良く仕事できていたのに、また調子が悪い日々に戻って以前の悪循環へ。。

 

朝起きて、会社に行きたいのに起きられない状況が毎日のように続き、じぶんをコントロールできない日々を送っていると、いつもながら本当にへこみますよね。

 

なかなか治らない病気に焦る気持ちと、将来に対する不安。一体自分はどうやって家族を支えていけるだろうか?会社からグレード降格(減俸)を言い渡されるんじゃないか?という不安。

そもそも「不安」がこの病気には一番よくないのに、いつもそんな気持ちにさせられてしまいます。

 

でもそんな気持ちをいつまでも引きずっても仕方ないので、ちょっと前向きなことを。  

「あきらめる」ことと「あきらめない」こと、について書きたいと思います。

 

こころの病になって最近「あきらめる」ことと「あきらめない」ことがあることに気づきました。

 

1) 「あきらめる」こと

こころの病いが長期化してくるときっと悩むことなんですか、一番よくあることはサラリーマンでいったら出世(昇進)のこと。同期や同年代に遅れをとったり、年下の上司が出てきたりしてきます。給料にも差が出て来ると思いますし、内心出世してゆく年下の後輩たちに対してひがむ気持ちも出てきてしまいます。(仕方ない感情だとおもいます)

でも、そういう他の人と比べると自分がどう頑張ってもしても劣ってしまっているのは事実なんだし、周りからだって残念ながら評価されづらい立場なんだから、これはどうしようもないこと。だから、「あきらめる」覚悟も必要なんじゃないかとおもいます。

もちろん、「俺はこころの病いから一日でも早く立ち直って、出世だってまだ諦めたくないんだよ!」という人は、それはそれとして頑張ってほしいと思います。が、大半の人(特に病気が長引いている人)は、人との比較で劣等感を感じてしまい悩んでいるはずなので、「他人と比較しない」こと、無理なことは思い切って「あきらめる」くらいのわりきりも必要だと思います。

 

2)「あきらめない 」こと

絶対にあきらめないこと(あきらめてほしくないこと)、

それは「自分の人生」とか「希望」、「自分の将来」です。

私もそうなんですが、自分が苦しい思いをしていると、何だか自分だけ不幸で哀れな気持ちになりそうになります。でも冷静に考えてみて果たして本当にそうなのでしょうか?

自分の身の回りの人を少し見回してみてください。きっと自分だけが最悪な状況にいるわけではないはずです。

例えば、私の身の回りを見回しただけでも、私なんかより大変な人、大変な思いをしてきた人、たくさんいます。私なんかよりもっと大変な身体に重い障害を抱えている人がいたり、中にはガンになって死の淵から生還してきたような人だっています。普段あまり意識しないんですが、よくよく見回してみると実はそういう人は自分以外にもたくさんいるもんなんです。

もしそんな人がいたら話をして、その人本人から体験談を聞いてみたらいいと思います。

実際私も、大学の後輩で何十年も統合失調症に苦しみながらも、社会人として立派に活躍している後輩と話して、すごく大きな勇気をもらいました。そして、自分の置かれている状況なんてたいしたことないと感じましたし、「自分の人生は終わったかも」なんて思っていた自分が馬鹿だった、とつくづく痛感してしまいました。

 

70~80年くらいある人生の、長期的な視点で考えてみたら、実は今現在の困難(こころの病い)なんて、実はただ石につまづいた程度のことなのかもしれません。 

そんなことで「自分の人生」とか「希望」、「自分の将来」を諦めていたら、勿体無いですよね。

 

私が思うに、こころの病いは自分の考えようで、いくらでも取り戻せる病いだと思いますし、どういう形であれ、必ず再び立ち上がれる病いです。

今週の私みたいに会社に遅刻したりして凹んだり、体の調子が再び悪くなったりすることもあるかも知れませんが、まぁ、そんなちいさなこと、気にしなくたっていいじゃないですか。

 

ある局面では「あきらめる」ことが必要になるかも知れません。が、人生の幸せやゴールは一つじゃないし、「あきらめない」気持ちがあれば、いつかきっといいことが巡ってくると思いますよ。

 

さあ、楽しい明日を考えてそろそろ寝よっかな。

 

人生は一度きり。

 

You Only Live Once.

 

 

 

 

 

 

苦しい時ほど、笑って楽しく生きよう

今日から一週間の始まり!

なのに月曜日の朝から頭が重くて身体が動かない・・・。週明けからいきなり出鼻を挫かれてこころが凹む。そして会社の同僚に迷惑をかけてしまった気持ちになって何だか引け目を感じてしまいさらに凹んでしまう、、、これが今週月曜日の私。

 

身体表現性障害と薬の副作用がきっかけで昨年4ヶ月休職、年明けから職場復帰した今でも、なぜか突然前触れもなく、朝起きれなくなることがある。

 

はっきり言って、どうして突然こうなってしまうのか?自分でも理由はよくわかりません。最近は仕事も別に仕事に行きたくない訳でもないし。。「たぶん身体か脳が疲れていたんじゃないか?」とか、いや、はたまた無意識のこころの奥底で「会社に行きたくない自分」が実は存在しているんじゃないか?とか。(いや、そんなはずはないだが。。。)こうなるといつもこんなことを考えては、藁をもすがるような思いでインターネットで「身体表現性障害」についてを検索して対処法を調べてしまう自分。

 

とにかく普通なようで普通じゃない日々を未だに送っています。でも精神状態は元気でむしろ前向き。

自分自身では全く病気とも思えない私。これが私が直面している身体表現性障害の実態です。(もちろん個人差がありますから、あくまで私の一例です)

 

  ところで、身体表現性障害と自律神経失調症が時々同じように言われることがありますが、私の場合は、まさに自律神経失調症のような症状が一番の特徴で、とくにストレスもないのに朝本当に身体が動けなくなってしまって遅刻したり、悪い日には休まざるを得ない時があったりします。

あとは不安障害も多少あって、何とも言えない微妙な落ち着かなさと手と首の微妙な震えるような感じに襲われます。(ただ、抗不安薬を飲めば落ち着きますが)

 

今年、休職から明けてやっと職場復帰、最近になってやっと残業禁止などの業務制限も解除されて、晴れて「普通のビジネスマン」になれたようなうれしい気持ちになった途端にこの状態。きっと大抵の人はここできっと落ち込んでしまうことが多いと思います。正直、私もくじけそうになることはしょっちゅうです。でも挫けたり凹んだりしたってどうしようもないんですよね。。。

最近は、考えても仕方ないのに悩んだって仕方ないんだから、もう開き直って深刻に考えるのをやめました。この病気はそもそも慢性的なものだし、原因を探ってもわからないですし。

 

むしろ、こういうつらい時ほど、きっと自分は神様に試されているんじゃないか、と都合よく考えて前を向いて『人生を楽しもう』と思っています。

あと自分で心がけているのは、意識的に「笑顔」を作ったり、気さくに挨拶や人に話しかけたり、できるだけ「楽しく」仕事したり、生活を「面白く」していこうとすること。たぶん、周りの人から見たら、きっと自分のことを、"こころの病気になった可哀想な人"って、ある意味、色目で見てられているような気がするんですよね。実際こころの病気になったことのない人ならそう思ってしまっても仕方ないんですけど、自分にとってはすごく心外なことなんです。だからこそ、相手から見て「XXさんって、朝時々体調悪そうだけど、体調悪い風に見えないよね」って思われたいわけです。

 

それに、笑って楽しくいたら、こんな病気なんて、長い人生考えたらたいしたことないんじゃないか?なんて思ってきますしね〜。

 

だらだら思っていることをダラダラと書いてしまいましたが、ま、気楽にいきたいと思います。

 

人生一度きり。

 

You Only Live Once.

 

 

 

「地位財」と「非地位財」

私が今の病気(身体表現性障害)になって昨年の休職中の時のこと。

自分の病気は一体何なのか?この病気の深層にある根本的な原因は一体何なのか?と思い悩み、深く見つめなおした時期がありました。そして最終的に出てきたキーワードが、

「地位財」と「非地位財」という言葉。

 

この言葉は経済学用語なのですが、馴染みがない人もいると思いますので説明すると、

「地位財」→他人との比較で得られる地位や財産

    (役職や収入、家や財産、子供の成績など)

「非地位財」→他人と関係なく得られる幸せ

     ( 健康や休み、趣味(楽しみ)や愛情)

です。

ちなみにこの言葉、ちょっと難しい専門用語ですよね。。私も初めて聞いた時はよくわかりませんでした。もう少しこの言葉がわかるように例をふたつあげておきます。

 

■例1: ライフスタイル

→金銭的な裕福か?  心の自由か?

「地位財」→皆んなが羨む一流企業で働いて給料を沢山もらっているが、時間もプライベートもなく毎日忙しい生活。
「非地位財」→田舎暮らしで自給自足生活。野菜を売って生計を立てるが収入は高くない。でも自然に親しめて優雅に自由な時間でストレスのない生活。

 

■例2: ステータス
→上の下か?中の上のか?

「地位財」→誰もが知る有名なプロチームに入団、二軍生活ながらも年棒は1000万。
「非地位財」→知名度も人気も高くない下位プロチームながら中心選手、年棒はトップ1000万。

 

(もっと知りたい方はこれを読んで下さいね)

https://sites.google.com/a/mytougane.com/tontororinohitorigotoa/jing-ji/jing-ji-xue-yong-yu/-de-wei-cai-to-fei-de-wei-cai-no-hua

 

では、本題に戻って、、何が私の「こころ」の苦しみの原因になってしまったのか?。

いろいろ考えて気づいた理由は?というと、私がこの数年の間に自分の中で、この 「地位財」と「非地位財」のジレンマに深くハマってしまったからです。

 

具体的に言うと、家庭やプライベートは楽しく、会社もそれなりの大企業にいて充実した生活を送っていたはずだったのが、仕事のストレスだったり責任に対するプレッシャーが多い会社の中で緊張感を張り詰めながら毎日に忙殺されているうちに、いつの間にか心の余裕だったり、将来の夢や希望、目標を考える余裕もなくなってしまいました(心をすり減らしてしまいました)。そして、仕事が大変で苦しい時期だったある瞬間から、ビジネスマンとしてのキャリアに大きな壁ができてしまって、気がつくと「自分は果たして幸せなのか?幸せじゃないのか?」がわからなくなってしまった、からなのです。

 

  今まで、自分としてはそれなりの大学を卒業して、仕事も自分のやりたいことを思い通りに(もちろんたくさん苦労や紆余曲折ありましたが)やってきて、そして転職しながら徐々にキャリアアップしてそれなりの社会人生活を送ってきました。

でも仕事のプレッシャーの多い社風の今の会社で、30代後半に差しかかった頃、社内の上司や同僚が次々と「こころ」の病気になるのを目の当たりにしてきたのをきっかけに「こころ」の病気が急に怖くなり、頑張って昇進すればするほど、自分も彼らみたいになってしまうのではないか?と急に不安になりました。

また自分自身も日々の仕事でのプレッシャーとストレスで「こころ」が疲れていたのか、急に自分の中の壁を乗り越えられなくなってしまいました。

また、週末は充実していて趣味や家族との時間も楽しんでいて「非地位財」を得られていたはずが、気がつかないうちに「家族を経済的に支えなければならない」と自らプレッシャーを作ってしまい、それが更に重くのしかかってきて、気がつけば、自分がビジネスキャリアの踊り場にハマって抜けられなくなっていました。

 

振り返ってみると、社内で昇進できるような機会が決してなかった訳ではなく、実際チャンスはあったにもかかわらず、当時の自分の「こころ」の迷いや「一歩前に進めない」自分自身の気持ちが、チャンスを自ら潰してしまっていました。今考えると、あの頃には、身体はまだ正常でしたが、「こころ」は既にもう病み始めていたのかも知れません。

 

その後病気になり、それから約5年経ちました。

40代にもなると自分の周りにもどんどん昇進したり自分で起業したりして収入的にも社会的にもそれなりの地位になる人も出てきます。最近よく感じるのが、プライベートで学生時代の友人と名刺交換する時。元来、私は他の人のことはあまり気にしない性格なのですが、最近さすがに時々名刺交換に気が引けることも出てきました(はっきり言って自分としてさ不本意ですね)。

でも一方で趣味のスポーツで知り合った友人とは、学歴とか地位とか収入とか全く関係なく、純粋に楽しい関係が気付けていて非常に幸せな毎日を送ってもいます。

 

最近はっきりわかったのは、私にとってこの「地位財」と「非地位財」、欲張りかもしれませんが、やっぱり両方とも必要なんだ、ということです。

もちろん両方のバランスはありますが、少なくとも今の自分は「非地位財」は得られていると実感しているので、これから何とかして「地位財」を得られるようになりたい。私は特にビジネスマンとして成功したエリートな人間ということはありませんが、それなりに順調に歩んできたはずの歯車が完全に狂っている、この閉塞感のある状況を何とかして打開したいし、打ち破りたい。

別に凄く成功したい、とか有名になりたい、と言うわけではない。どういう形であれ、金持ちでも社長に出世出なくてもいい。ある意味、オンリーワンな地位でいいので、これから自分らしさや自分だからある「存在価値(地位とか居場所)」に、もう一度一から挑戦してみたいと思います。

そしてもちろんですが、人から感謝されたり、認められるような「地位財」を得られるように挑戦したい。

そして、小さな失敗はいくらでもしていいから、とにかく何でも諦めないで目指してゆく気持ち、を大切にしたいし、できれば、チェンジメイカー(人々に影響や変化を与えられるような人)でありたい。

 

そうすれば、いつかきっと、今の病気も克服できるんじゃないか?と信じています。

 

もっとも、私はまだまだ高い山の麓にいますけどね。将来は70歳定年になるはずだから、私は今折り返し地点。何歳からでも遅くはない。

人生は一度きり。

 

You Only Live Once.