こころの病と闘いなから「働き方をかえる」!YOLOなダイアリー

一度きりの人生(YOLO)、私同様に「こころの病い」と闘う人へ。

「個性」を認める

毎日暑い夏が続いて少々バテ気味です〜。

 

今日は、自分が心の障害を持って初めてわかったこと、「個性」を認めること、について。

「個性」っていうと、普通は凄くポジティブなイメージがあって、優しいだとか、クールだとか、ひょうきんだとか、明るく前向きだとか、なんか人それぞれの「特長(言い換えると”良い所”)」、目立って素晴らしい点や性格、人間性ばかりを思ってしまいがちです。

 

   私自身も以前はそういうタイプの人だったんですが、自分がここ二、三年、こういう心の病いになってみて初めて、発達障害を持った子や私とは違いますが精神疾患を患っている人も実は、それぞれみんなひとつの立派な「個性」なんだなぁと、この歳になって初めて気づきました。(お恥ずかしながら)

 

例えば、私は普段子供達のサッカーコーチをしているのですが、いわゆる「とにかく少し変わった性格の子」や「人と馴染めない人」、「話をきちんと聞けない子」、「すごくネガティブに考えてしまう子」がいます。以前も多動性発達障害(*)がいたり、「自分のことをきちんと伝えられない子」がいます。

*多動性発達障害:https://ja.m.wikipedia.org/wiki/注意欠陥・多動性障害

 

大人でも、全く社交的になれず、一緒にいるのに一言も話をしないひととか、ここ二、三年でも何人も見てきました。

あなたの周りにも、周りを見回すと数人くらいはそういう人がきっといるんじゃないか?と思いますが、そういう人をすぐに「変なやつ」と一言で片づけませんか?

気づかないうちに偏見的に扱ったり、仲間外れにしてしまっていませんか?

 

例えば、小学生とかでも、人の気持ちが自然とわかったり、気がついて進んでお手伝いできたりする子だけがいい「個性」のように思いがちですが、実はこれって極めて単眼的なんだなと。

 

どうしてもみんなと同じように準備やお片づけができないとか、几帳面で周りに合わないくらいマイペースだったりとかいう子がクラスにはいるでしょうし、中には先生のいうことをちゃんと聞けない子だっているんです。

 

例えば、自閉症の男の子。自分の殻に閉じこもって一見変な子に見えたりしますが、実は大成している人がたくさんいますよね。(スティーブ・ジョブズ)本人も幼かった当時からそういう人はいましたが必ずしも普通じゃない、と白い眼でその子を観たり、レッテルを貼ってしまうのは、非常に短絡的すぎますし、却って危険な考え方になりかねません。

 

もちろん、障害のある子は別として、ちょっと変わっている子には、親の育て方や家庭環境にもひょっとしたら原因があったりしますからなんとも難しいとは思いますが、他人の子供が変わっていることに悪口を言っている人や、レッテルを貼って扱ってしまうのは正直どうなのかなぁ?と、感じてしまいます。

 

それよりも大切なのは、この子を一人の人間として尊重して、ひとつの「個性」として認めてあげて、その子が持っている良い部分を見つけてあげられるくらいにしてあげられたらいいのでは?それくらい広い寛容性を大人には持って欲しいし、私自身も持ってゆきたいな、と思います。

わたしも少年サッカーのコーチをやっていて、実際いろいろな子供たちと話しをするのが好きなので話しますが、みんな色んな面白いことに興味を持っていたりするんですよね。例えば、危険生物がすごい好きだったり、電車がすごい好きだったり、あるいはドラマの「真田丸」の影響で真田幸村のことに凄い詳しい子がいたり。

だから、あいさつができたり勉強やスポーツができたり、お手伝いがきちんとできる子だけを「いい子」と考えるだけでなく(物事の表層の部分だけで人を判断せずに)、もっと広い視野で「個性」を認めたり発見できて受け入れて考えられるくらいの度量の大きさや寛容な心構え、その子(人)特長を引き出せるだけの問いかけ力や聴く力、たとえ障害がある子でも対等な立場で接することができるフラットな姿勢。なかなか難しいですが、あって欲しい、と考えている今日この頃です。

私もこういう考え方を自然にできる、品格を持てたらいいな〜

 

人生は一度きり

You Only Live Once