朝目が覚めると、体の震えと頭の震え、指先の感覚が痺れて、体が全く動けなくなる。
そして毎朝起きるまでに1時間以上かかるような毎日を送っている私。こんな生活をしていてもう四年以上も経ってしまいました。
こうなってしまったのは、「抗不安薬 ベンゾジアゼピン依存」によるものです。
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今回は、こんな日々のつらい生活と闘う体験、薬物依存からの卒業へ向けて、前向きに取り組んでいる日々、自分なりの想いや「幸せとは?」を少し赤裸々に話したいと思います。
読んでいただいた方に、少しでも力になれたらいいなと願いながら書いてみましたので、是非ご参考下さい。
毎朝起きれない日々の生活
私の毎朝の生活ですが、前日の夜から朝までの生活をどう過ごしているのか?を話したいと思います。
前日の夜11〜12時 就寝 (7時間以上の睡眠)
以前の私は言われるショートスリーパー。平均5時間睡眠で、ストレスと日々の悪い積み重ねで体調を崩してしまいました。
睡眠不足だと精神的に不安定になったりして良くないとわかったため、規則正しい生活を心がけるようになり、7時間以上の睡眠をとるようにしました。また、毎晩寝る前にマインドフルネス瞑想を行い、頭に不安が巡らないように過ごしながら眠りについています。
7時間以上に睡眠を増やしてから、毎晩夢を見るようになり、朝の目覚めや気持ち的なスッキリ感は明らかに良くなってきており、また精神的にも安定してきたのを実感しています。
6時半〜7時 目覚め
目が覚めると、指先の感覚が痺れて、体の震え(首がビクッと動く)と倦怠感があり、体が全く動けるない状態に陥ります。
これは、抗不安薬の薬が切れていて離脱症状(※)が発生している状態です。
また、自律神経が失調している感覚もあるため、天候や季節によっては、さらにヤル気が出ないこともあります。
睡眠は十分に取れているので、決してこころが沈んでいるわけではないありませんが、それでも離脱症状でカラダが全く言うことを聞かない状態になるので、精神的はつらい時間です。
※離脱症状=薬が切れたり、中止・減量した際に生じる禁断症状のこと。個人差があるが様々な身体的・精神的症状が様々に起きる
7時過ぎ 抗不安薬を服用
なんとか起き上がり、抗不安薬を服用します。
薬を飲んでしばらくして(10分くらいして)薬が効いてくると、手の指先の痺れ症状がなくなり、徐々に体が動けるようになってきます。
(動けるようになるまで30分〜1時間)
8時半過ぎに何とか出発
薬が効いて動けるようになってから、肩甲骨周りや首を動かしたり、太陽の光に当たったりして、徐々に体が動けるように整えていく。
自律神経を整える動きを意識したり、体を伸ばしたりして、体を起こすような感覚です。
毎朝これでなんとか起きていますが、それでも毎朝普通に動き出せるようになるまで1〜2時間かかります。
朝はしばらく体調が優れないので、何度もこころが折れそうになりながらも、必死に起きて出勤している毎日です。
幸いにも、今の会社が近くにあるので、8時半すぎに出勤しても出社時間には間に合い、何とか普通に働けているような状況です。
体の震えや頭の震えはどうして起きる?
朝の抗不安薬の離脱症状で特に心配に思ったのは、頭の震えです。震えというよりは、頭が自然にビクッと反応してしまう症状で、脳に障害があるのかと心配したこともありました。
ネットで調べると、パーキンソン病の疑いの話が出てくるので心配に思い、脳のMRIをとって精密検査をしましたが脳には問題はなし。
医師に聞いたところ、これは「本態性振戦」という、原因不明の頭の震えとのことでした。
これを聞いて安心しましたが、薬の離脱症状の一つだと認識して、今はあまり気にしないようにしています。
何故くじけずにいられるのか?
はっきり言って、気持ちが負けていたら完全に一般社会から外れてしまう人生になっていたと思います。くじけそうになったことも数え切れないほどあります。
何年もこんな生活を送っていて、3回も休職を経験。それくらい苦労をして何度も諦めたくなったことか。。
それでも、そんな自分をいつも救ってくれたのは「家族の存在」でした。
自分の人生は家族を支えるために立ち上がる、そして家族に支えてもらいながら楽しく生きる、そんな家族に対する気持ちが「諦めない気持ち」に繋がったのだと実感しています。
そして、このブログ名、YOLOCOBI の「YOLO(人生は一度きり!)」の言葉通り、「人生、幸せになるために生まれてきたのだから、諦めちゃいけない!と自分の可能性を信じて、自分を奮い立たせながら、再び立ち上がることにしました。
逆境の中で前を向いていくのは決して楽なことではありません。3度の休職後に退職せざるを得なくなり、人生の崖っぷちに立っていた時は、不安で不安で仕方ない状況にいました。
それでも私が忘れていけないと思っていることは、以下のことです。
人は誰もが幸せになる権利がある。
自分が本当に「幸せになりたい」と願う瞬間から、幸せの道が始まり、その気持ちを持ち続けることで、道は必ず開ける
最近は、この気持ちを想い続けて、少しずつ道が拓けてきました。
新しい環境で、新しい仕事に就いて4ヶ月経ちましたが、会社に遅刻することなく通い続けられ、会社の人たちにもだいぶ認められてきて、仕事にも慣れてきました。
道半ばですが、想い続けることが「生きる力」になって新しい道を切り開くのを後押ししているのを日々実感しています。
今考える「幸せ」とは?
「幸せ」というのは、そんな大袈裟なことではなく、朝起きて、普通に元気に会社に行けたこと、普通に楽しく働けたこと、家族と楽しいひと時が過ごせたこと、そんなちょっとしたことでも、「幸せだと思える自分」がいることこそが「幸せ」なのだと思います。これは、自分が健康でなかった期間が長く、日々の当たり前のことが幸せだ感じられるようになったからだと思います。
そして少しでも成長しようと前向きに何かに取り組むことが、新しい原動力となる。
たとえ何才であっても同じようにずっと成長を志す人間でありたい、と思っています。
今の自分は、他の人と比べても自信を持てる自分ではありません。時折SNSやニュース、テレビで見る成功者を見ると「自分はこんなはずじゃない」と劣等感を感じてしまう自分が常にいます。
でも「他人と比べる幸せ度」で図ってしまうと、人は幸せにはなれないということにきづきました。
それよりも大切なことは、「自分自身が感じる幸せ度」を大切に生きること。
これには比べるものもなくて、自分が「一番幸せだ」と思えれば一番幸せなんだと思います。そういう考え方をしてゆければ、人は決して不幸せな人生になることはないし、幸せを自分で創り上げてゆくことで、誰もが幸せになれると思います。
〜「幸せ」とは?〜
・当たり前のちょっとことに「幸せ」がたくさんある
・「幸せだと感じられる自分」こそ「幸せ」
・日々、何かに成長したいと思うことが「生きる原動力」になる
・人の幸せと比べないこと。自分自身で幸せを創り上げて「自分が一番幸せ」と感じられたらそれでいい
今これからの毎朝の格闘
今は、こころの体調は問題がなくなってきたので、薬依存から卒業するための減薬を1年間かけて行っているところ。
わずか2錠の薬を毎月0.1錠ずつ毎月減らしてゆくという、とても地道な治療を行っています。
あと一年したら、長く続いた闘病日記から卒業して普通の生活に戻れたらいいな、という希望を旨に生きていこうと思っています。
私がブログを書き続ける理由の一つに、自分の人生を綴りながら、こんな人生でも人に役に立つことがあるのではないか?というひとつの想いがあります。
人それぞれの人生には「価値」があり、それぞれの人がもつ「生き様」は、価値のあるコンテンツ(情報)になり得ると思います。
どれだけニーズがあるか?ははっきり言ってわかりませんが、たとえ数少なくても共感してもらえる人に読んでもらえるブログ記事は、数字以上に価値があると信じています。私はそれを信じながら、「ライフワーク」としてこれからも自分のことを時折伝えてゆきたいと思います。
You Only Live Once.....