YOLOCOBI BLOG (一度きりの人生にヨロコビを)

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〜人生が幸せに導かれてゆく瞬間〜 人生がつらい時にこそEpiphany(エピファニー)が訪れる 

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日本の脳科学者の茂木健一郎氏が度々口にしている、Epiphanyエピファニーということば、ご存知でしょうか?

 

このあまり聞きなれない言葉ですが、実は、人生の「幸せ」に非常に結びついてくる言葉だと思います。人生にエピファニーが下りてくる瞬間は、まさに人生が幸せに近づいてくる瞬間です。

 

今回は、この「エピファニー」という言葉を紐解きながら、「幸せ」について書き綴りたいと思います。

 

 Epiphanyエピファニー)とは?

Epiphanyエピファニー)という言葉ですが、直訳は「神の出現、自己啓示」で、もともとは、キリスト教の言葉が起源になっています。

でも現代では、キリスト教(宗教)とは関係なく一般的に使われている英単語になっていて、

 

「(ある瞬間に)物事の本質や人生の悟りのが突然ひらめく瞬間」

 

のことをいいます。

 

英語では、 

Get an epiphany (ひらめきを得る)

xxx lead to an epiphany ((ある出来事から)急にひらめく)

というように使われたりするそうです。

 

このエピファニーを言い換えると、 人生のターニングポイント(分岐点)で

突然「一本の道筋が見えてくる」

急に「新しい世界観が湧き上がってくる」

ある瞬間「直感的に鋭いひらめきが訪れる」 

 

そういう、自己変革を大きく導くような瞬間のことです。

 

「一筋の光が見えてくる」という言葉が日本にもありますが、これもひょっとしたらエピファニーですかね。

 

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数多くの成功者も、人生の中で「エピフォニーな瞬間」を経験しているそうです。

 

「命のひま」に訪れるエピファニーな瞬間(森本哲郎氏の言葉より)

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政治記者で哲学者の森本哲郎氏(森本毅郎氏の兄)の著書、「生き方の研究」(新潮社)の一節の引用から、少し話したいと思います。

 

ちょっと難しい部分もありますが、とても深い言葉ですので是非読んでみて下さい。

 

蕪村に、こんな句がある。

かぎりある命のひまや秋のくれ

 

私はなぜか、この句に惹かれる。句意は説明するまでもないだろう。

 

人生とは、けっこう忙しいものである。

だから、たいていの人は雑事に追われながら、つい、その日、その日を送ってしまう。

 

しかし、そんな生活のなかでも、あるひととき、しみじみと自分の生き方をかえりみる機会を持たない人はいまい。

 

蕪村は生活のための画事に多くの時間を奪われていた。

彼には、それを嘆いたいくつもの書簡がある。

そうした日常のなかで、彼はふと絵筆をとめて、秋の夕暮れ、「かぎりある命」に思いを寄せたのである。
そのとき、彼の胸中にどんな感慨が去来したか知るよしもないが、私なりに察しはつく。


憂いなどとは無縁だった幼いころ、いまは世にない父や母のこと、あっという間に過ぎ去った人生の大半…。

郷愁にも似た、あるいは、悔悛にも近い、さまざまな想いに浸ったにちがいない。

 

私は、人生とは、このように、自分の生き方を噛みしめることだと思う。

どんな人も、そのような命のひまに、自分を見いだすのだ。

だとすれば、人生で最も大切な時間とはそうした「命のひま」といっていいだろう。

 

だから、私もできるかぎり、そんな時間を持とうとつとめている。

何もかも放りだして、ぼんやりと手慰みに時を過ごすのである。

 

 

「人生の幸せとは?」と考えた時、森本哲郎氏のいう「命のひま」と「エピファニー」という二つの言葉は繋がってくると思います。

 

人は、皆毎日の生活に忙殺されてしまって、本当の「幸せ」が何なのか?を考える暇がないような状況です。

でも、ふと「幸せって何だろう?」と考えた時、ふと人生にとって最も大切なことや、自分の人生にとっての「幸せ」の答えが、下りてくるのではないでしょうか?

 

それは、あなたが健康を失ってしまった時だったり、あるいは困難な状況に陥った時に気づくことなのかもしれません。

 

あるいは、大切な人を失った時に気づくことなのかもしれません。

 

それくらい、「命のひま」がないとエピファニーも訪れることもないのかもしれません。

 

 

人生とは「幸せを考える旅」

人生の幸せは十人十色です。答えは決してひとつではありません。

それぞれの人が、毎日の生活でいろいろと悩み苦しみながらも、自分に問い続けて、自分なりの「幸せの答え」を探し続ける旅なのではないでしょうか?

 

そして、そんな「幸せの答え」を考え続けていると、ふと突然「エピファニーな瞬間」が訪れてくるかもしれません。

「一筋の光」のような、自分にしか見えない何とも言えない美しい光が見えてくる

 

これこそが「エピファニー」なのではないでしょうか?

そして、エピファニーが訪れた瞬間に、自分探しの人生に「幸せ」とは何か?、一つの「解」へと導いてくれるのではないか?と思います。

 

そんな筆者自身も、そのような経験がありました。

思い起こせば数年前、体調を崩して仕事を休職し、図書館で藁をもすがるように来る日も来る日も読み続けながら人生に思い悩んでいた時のことです。

 

隅田川のほとりのカフェでコーヒーを飲みながら、ぼーっと考えことをしていた時、ふとエピファニーな瞬間を経験したのを覚えています。

 

それが、私のYOLOCOBI(YOLO)の原点です


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人生のつらい時は、実は長い人生の中で「一筋の光」を見るための過程なのかもしれません。

「苦しみや悩みがあって初めて幸せがわかる」

エピファニーな瞬間を味わうために人は苦しみを経験している」

そう考えると、人生の毎日の悩みはつらさも、実は全てエピファニーの一部なのがもしれません。

 

エピファニーを科学する

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これまで説明してきましたエピファニー

人間にしか感じなれない、脳の化学反応(人生を変える悟り、ひらめき)です。

 

そんなエピファニーも、アメリカ・オハイオ大学の科学者をはじめとして、エピファニーな瞬間を科学的に解明しようと研究し始めています。

 

「aha moment」(「アハ体験」というひらめきを表す心理学用語)というひらめきが、どのような脳の仕組みで着想するのか?等、こうしたエピファニー研究によって、近い将来にはきっとエピファニーを感じる脳のメカニズムが脳科学的に明らかになるのも時間の問題でしょう。

 

ただ、エピファニーが訪れる瞬間は科学されても、エピファニーな瞬間を科学的に創り出すことはできない、と思います。

 

何故なら、エピファニーは、悩み苦しみながらも、毎日考え続け自分に問いかけ続けている人、あるいは「どうしたら前を向いていけるか?」を深く考え続けた人にだけ、「命のひま」にぼんやりしている時に、突然訪れてくる「神秘的なもの」だからです。

 

「一生懸命、自分探しをしている人」

「つらい人生に悩みながらも、前進して成長したいと願っている人」

だからこそ降ってくる「幸せ」になるためのヒントなのです。

 

Epiphany(エピファニー)」という言葉、とても奥深くて素敵な響きです。

 

人生、つらいことがあってもいいのです。

今は長い自分の人生の中の「命のひま」で、エピファニーが訪れる瞬間なのかもしれません。だからこそ、「幸せになりたい」と願うことが必要ではないでしょうか?

 

あなたの人生にも、エピファニーの瞬間がいつかきっと訪れるはずです。

つらいことはあっても、いつでも「幸せ」を追いかけていきたいものですね。

 

You Only Live Once....

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You Only Live Once...

 

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